苦労したとか、それを作るためにどれだけのコストを費やしたかとか。
正直な話どうでもいいわけで、最終的に認められるのは出来上がったものの質なわけだ。それも基本的に一般人から観てどうかというわけで、それが技術的にどういう風に優れていて、どんなに難しいプログラムや技術が使われていたとしても、見る人は大抵そんな苦労なんてどうでもいい人たちばかり。
2Dの授業の講師が、空間を使ってデザインを魅せる人なんだが、見た目は手抜き。でもセンスは最高。だけど、一般人からみれば適当。結局は見た目の問題。
だからこそ、今やるべきはコストダウンや効率化をかっ飛ばして、自分のやりたいことをやりたいだけやるってことなんだと思う。
ここを逃したらもう無い。次に出来るようになるには、それだけの力がついて、自分が自由に出来るものを持つレベルになってからになる。それまではコストダウンと効率化の中でクオリティをひねり出すことになる。
今現在の最高の力を、必要なだけの時間を費やして、作品を作り上げることに意味がある。そんなことが出来るのは今か、将来の将来だ。時間に追われることを体感するのは重要だと思う。締め切りは絶対だし、時間は有限だ。それは変わらない事実で、それを学ばないで社会にでてもどうしようもない。どうしようもないというか使えない。一番重要なのは期日通りにあがることで、集団はそうしないと回らない。
でも今はそれを免除されてる。
コンテストに応募するのも自由。自分で何をするかは本当に自由。時間もある。ソフトもある。これだけのなかで時間に縛られる意味は無い。クオリティをとどめる理由も無い。
だから俺はあと3ヶ月かけてでもみーまーMADを完成させることにする。
- 2008/06/18(水) 23:06:51|
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元の文を解読できたら神だな。
と思ったら、そのままエキサイト翻訳したら普通に読めてしまった。つまらん。
Is it painful to live?Is it painful to die?It is soliloquized that solitude is the most painful if it is asked that any is painful. Man who lives in the relation remembers solitude if it is one person, and it is in many if there is one person it. It doesn't know solitude if it doesn't know the meaning of relations, and if it doesn't know the pain, I cannot feel happiness. It is impossible, and in the accomplishment of one person of the observation of two contradicted events, only it is drowned in the relation, dies, and goes.
If it likes one, it is likely to be able to live alone. It is depending on the standard by yourself whether it is painful, and feeling painful when it is felt happy becomes possible. As for the plant that grows from ground, is man suggesting should not anywhere in the truth of not reaching space?Not relating to me whoever is done very of whom is the world. Where are you who is alive if it is Secai?
Die.
- 2007/12/03(月) 16:42:29|
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人がいいといったからいいのか。
自分がそうだからそうなのか。
結局は自分で決めることなのに、自分の責任はどこへやら
責任と覚悟の所在不明は、そのまま人間不信への序章
序章1章第2章と続けば、そこからさきは奈落
だからどうしたと声高に叫ぶのも一興
叫んでおいて依存するほど愚かに見えるものもない
やりたいことができるからすばらしいのか
選択肢はあるようでないようで実はある
選べるかどうかの責任と覚悟を人任せにした段階で
終わってる人間は区別と差別の境界線
依存と独立が背反ならば、俺は何を信じればいい?
その問いは自分に返却され、それだけで先に進めない
依存してることを嫌っていようと、それは解けず
だからこそ自由が狭まるのはしょうがないこと
それに反対しようとも確定事項はゆるがない
揺るがない真理はそれだけで不快にさせる
生きていくのが辛くなるとぼやいてみれば、
それすらもただの口癖に過ぎずに消える
偽善と偽悪とかっこよさに引かれた言葉は消え
残るのは惨めで悲惨な残骸と化した自分
そんな極端な話をどうしろと終わらせても、
待っているのは怠惰で堕落なクソったれな日常
やりたいこととやらなければならないことと
交互ではなくまとまってくるから気分が悪い
頭が麻痺して流れる思考は無駄思考
意味がないとわかっていてもする行為は無駄
馬鹿だ馬鹿だと叫んで愚かな自分を笑い哂い嘲笑い
やるせなさに自重で押しつぶされるのも間近
脳髄に重石をのせられた感覚はいつまでたっても消えない
義務と責任と勝手に決めた日常と
頭がおかしいマルチタスクは死ねと言ってくる
お前が死ねといいたいが言ってる自分が死んでしまえ
好きなことだけやりたいんだから
そのために堕落への道が開いてるんだろう
それでもそこを選ぶのは苦しくて
もやもやしたわだかまりが脳裏をかすめ苛む
どうにもできない負の連鎖は負債を重ね
溜まった無駄な時間は無駄に消費されて戻らない
やりたいことは済ませたのか済ませてないだろう
義務ばかり迫ったやってられない日常は
それでもまわって俺を責め続ける
その苦しみは自分が生み出したというのに
一体それはなんという言い草なんだろうか
解決策が見当たらないのは日常茶飯事
それが真理と思ったところで中二の俺が否定する
貴様はなんだ? 何がしたい?
問われたところで全てと答える
本心は見えず自分にも見えず他人にも見せず
だから誰にもわからないのは当然の帰結
帰ってくるのは惰性で出て行くのも惰性で
画面にむかって文字を打つ行為がすべての代償
代償であるが故の暇つぶしでもあるといって
自分で作り出した罠にかかった馬鹿な魚
あんたがいい加減気付いてやれよ
終わったのはそれだけで、終わってないのは他全て
やってられない。
- 2007/01/22(月) 00:23:38|
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自虐というか予防線というか、自分に反論がこないような事なかれ主義という雰囲気の書き方は、逆に反感をもたれるんじゃないかという疑問。
分かりにくいと思うのだが、例えるとすると、なんか偉そうなことを言っておいて、そのあとに、「まあそんなのは馬鹿なオレにはわからないんだろうけど」っていうのを付け足したり。
基本的にオレがよく使っている手法なのだが、これって、自分を否定することで自分は馬鹿じゃありませんよー、って大きな声で叫んでいるのと一緒なんじゃないかな。
自分はこのくらいのことは考えてますよ。自分を省みることが出来るんですよー。って言ってるのと同じことだよね。謙遜が謙遜になっていないというか、傲慢に謙遜してるというか。確かどこかでそんなような趣旨の会話を読んだことがあったと思うけど、その時考えたことをもう一回考えてる。
自虐も同じように、自虐をすることによって、自分を下に見せるって言うことをして、『自分は相手よりも下』っていうことに優越感を抱いているだけ。結局は自分が上に立っている。相手よりも下って言うことにかけては、相手よりも上をいってるってことを主張したいだけ。
そう考えると、傲慢でも謙遜でもないっていう状況が一番いいんだろうけど、世の中そんな人間は本当のいい人だけだろうし、本当のいい人は少ないと思うので、世の中の大部分は傲慢な人か、謙遜をする傲慢な人にでも分かれると思う。
結局、自分優先で考えるしかないんだからしょうがないといえばしょうがない。どうせ変わるのは他人の評価だけで、そのことに対して自分を見つめても何も変わらない人が殆どだろうし。
オレも変わらない一人だが、自分を分析してもそれを結果に結び付けられなかったら意味無いじゃん。みたいな。
というより、相手より下を誇るぐらいだったら、自分のほうがうえだってことを示せばいいんじゃないか。と一瞬思ったのだが、その努力がめんどくさいから、楽なほうの謙虚というか自虐にたどり着くんだろうな。
ここまで書いて、謙虚っていうことばは、実際に力を持ってる人が、自分のことを威張らないっていうことを刺してることに気づいたが、まあそれでも結局のところ殆ど同じなんじゃないかな。
自分が下っていうことにしておけば、下の自分が上のてめえをやった。っていうことに優越感を持ってるだけ。
結局は同じだよね。
つかじゃあどうすればいいのか? って聞かれたところでオレには分からん。
考えるのがめんどくさいんで思考を停止します。
以上。
- 2006/11/07(火) 14:23:54|
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真面目に考えて見ましょうか。
「なんで、人の書いた感想を読むの?」
これですべて決まると思うんだ。
動機が違えばその人が求める感想サイトの像が浮かんでくるだろうし、そういうのもう含めて考えることで、包括的な対策になるんじゃないかな?
何通りいるかあげてみるか。
・未読本の情報を求めて
・読み終わった本の共感を求めて
・ただなんとなくおもしろいから
・読んだ気になれてうれしい
・ネタとして読むと面白い
さて、うちがどの対象になってるかは別として(ry
こんな風にいろんな人が感想サイトを見て回ってると思うんだが、その誰もが同じ気持ちを持ってることなんてないはず。
そりゃあ当然感想が人それぞれ違うように、それを読んで思うことも人それぞれ違う。
ちがうんだから、一概にそれがいいとか悪いとか、言えない。
毒にもクスリにもならない、ただの感想。誰にも迷惑をかけず、ちょっと思ったことを少し書いて、それで終わり。ネタバレなんてもちろんしない。
そんな感想サイトでもいいんならいいとおもうけど、知的好奇心を満たそうと思ってサイト巡回をしてる人にとって、それじゃああまりにも味気なさ過ぎる。
人気取ろうとしてる人は、だからみんながんばろうとするんだよね。
さて。
ネタバレの必然性について考えて見ましょうか。
ネタバレされたらウザい? ウザいよね?
そりゃそうだ。不可抗力で見てしまったネタバレほど最悪なものはない。
ネタバレのせいでその感想が見れないのもつまらない。
まあうちの感想は。基本的に読んだ人にしかわからないような書き方してるからネタバレ気にしてないんだけど。まあ迷惑な人にとっちゃ迷惑だろうがオレは変えるつもりないのであしからず。
そんなわけで。ネタバレを嫌う人の一人であるオレだが、だからといってネタバレを完全否定するわけにも行くまい。
ネタバレというのは
・読み終わった本の共感を求めて
・読んだ気になれてうれしい
という感想サイトをみてる人にとって欲しいものをより伝えるために、必要なことであるからだ。
つか。共感なんてネタバレなしだと微妙な感じになっちゃうし。まあ上手くまとめてる人はいるけどね。俺には無理だけど。
って、上手くまとめてる人がいるならネタバレって必要条件じゃないじゃん。だめじゃん。
じゃあネタバレの結論としては、
・上手く出来る人はネタバレなしで読んだ人も共感できる文章を書く
・下手な人はネタバレ全開で書く。
・しっかり書きたい人はもとからネタバレありで、追記とかで隠して書く。
あー。二つ目ってオレのために作ったようなもんだな。。。まあいっか。
そんな感じで。
って。適当な考察だったね。これこそ毒にもクスリにもならんわ。
今回本題は追記のやつだしね
ごめんね。とてつもなく蛇足だけどきにしないで。
追記は前回からの続き。
オレの感想と、あtoんさんのそるさんのコメントと、あと、オレの考えについて。
読みたい人だけどうぞ。
読みたい人だけ、っていったところでみんな読むんだろうけどね
。
追記-Postscript-
- 2006/06/23(金) 23:37:50|
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